第17回JATO日本人ATCリレー形式紹介企画

 

皆さん、お元気ですか? 秋の気配いよいよ濃くなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

さて、先月は研究者として活躍されている細川さんのインタビューでしたが、今回はJATOのスカラシップを作り上げ、立命館大学、特に体育会の顔となっている東さんにインタビューにお答え頂きました。

普段中々知る事の出来ない東さんの熱い想いなどを是非一読下さい!!

---なぜATCになろうと思ったのですか?---

 

たまたまです。運命です。直感です。

日本での大学生時代に知り合ったアメリカ人の友人から、アメリカに運動選手の怪我のケアする人たちがいるのは聞いていましたが、それになりたいと強く思ったこともなく、その人達がアスレティックトレーナーと呼ばれ、大学でアスレティックトレーニングを専攻すればその資格が取れるなんて全く知らず。普通に日本の大学を卒業しました。日本の大学の専攻が「英語」だったのと、なぜかガキの頃から他の英語圏には全く興味がなく、アメリカに行きたくてしょうがなかった(スケボーやらBMXやら、いわゆるアメリカンスポーツにすごく魅了されていました)ので、少しでも英語を極めたい、アメリカの文化を体感したいと思い日本人がいなさそうなアメリカのニューメキシコ大学の英語学校に留学しました。アメリカが大好きな人間なのですが、特別アメリカで学びたいこともなく、ただ授業を取りながら楽しくアメリカの大学生活をエンジョイしていました(笑)。二年ほど経ったある日アドバイザーに呼ばれ、「早く専攻を決めなさい」と言われ。特別やりたいこともないのですぐに返答できず、キャンパスを寮に向かって歩いていました。大学の構内新聞「Daily LOBO」が風に揺られて地面の上を漂いながら目の前を横切って来ました。何気なく踏んづけて手にとって見たら、一面に大学で働く女性アスレティックトレーナーの記事。それを読んだ瞬間にこれだと直感で決めました(多分運命だったのでしょう。このときの新聞は未だに大事に取ってあります)。次の日にはアドバイザーのオフィスに行き、「アスレティックトレーニングを専攻する」と伝えました。それから学生トレーナーとして授業や実習を始めたら、全くバックグランドがない学問や英語でのコミュニケーションが大変だったにも関わらず、楽しくてしょうがない。これなら勉強を続けられるかもと思いました。それから3年(計6年アメリカで大学生でした)かけて無事卒業。BOC試験にも合格してATCを取得できました。何度も言いますが、特別な理由がないのです。直感です。運命です。たまたまです。

 

---学生、社会人時代に印象に残っている出来事はありますか?---

 

卒業してから20年以上経つので昔の記憶がぼやけてきて、すぐに思い出せない(笑)。

ですが、やはり立命館での仕事が決まった時ですかね。

卒業して日本に帰ってきた当時(1995)は日本にまだJATOもなく、日本人ATCがいることも知らず(鹿倉さんの存在なんて全く知りませんでした())、就職活動に苦労していました。おかげで結局3年間もフリーターしていました。1998年に日本での仕事を諦めて、母校UNMのヘッドトレーナーに相談しにアルバカーキに滞在している最中に、親が国際電話をかけてきて「立命館大学から電話がかかってきて、ATCを探しているからあんたに会いたいってよ」と伝えられ、すぐに日本へ帰国して面接を受けました。まさか自分が日本の大学で初めて、アメリカのようなシステムで大学の体育会のクラブをすべて見るようなヘッドトレーナーになるとは思っていませんでした。私は全くすごくはないのですが、運だけで歴史的な出来事にかかわれています。私のことを気にしてくれていた鹿倉さんを初め当時のJATOの理事や事務局の方々のおかげだと思っていす。それから約20年同じ場所で仕事しています。

立命館で仕事をするようになってからは、一緒に立命館大学で学生トレーナーとして働いてくれた学生たち(特に2000年始めにBOCに受かった初期のメンバー達)がATCを取得した時。私の仕事を見て同じ職業を選んでくれたことが嬉しいです。

 

 

---現在の仕事内容を教えてください---

 

現在は、私の他に松本ATCと木幡ATCがそれぞれラグビーと女子陸上につきっきりでいてくれるので、アメフトをメインで見ています。アメフト部学生トレーナーの助けを借りながら、すべての練習や試合に帯同。アスレティックリハビリテーションの処方、指導、監督、記録。傷害の評価と記録。学生トレーナーの教育。練習前後のケアやテーピング。熱中症対策(練習前後の体重管理、水やスポーツドリンクの供給。体温の計測など)。雷などによる練習開始時間や中止の判断。内科的疾患を確認するための毎練習前のメディカルチェックの確認。受傷後の練習参加可否の判断。頚椎損傷時のスパインボーディング。脳震盪の評価とリハビリ。選手が服用している薬の確認や変更の指示。入学時のフィジカルチェック。大学で行われる体育会健康診断の結果の確認と指導。立命館大学GATプログラム(アメリカの提携大学院アスレティックトレーニングカリキュラムに立命館大学スポーツ健康科学部学生が入学する)ために必要な現場実習の責任者、などなど。

 

 

---現在の一日の流れを教えてください---

 

11:00に出勤し、スタッフミーティングのために昨日の怪我人を確認したり、学生トレーナーが作成してくれた怪我人リストを確認したりして、1230よりスタッフミーティングに参加。その日に参加できそうにない選手の報告。30分ほどで終了。それからはATルームの掃除をしたり、自分のトレーニングをしたり、ネットをチェックしたり、事務仕事したり、CEUのために勉強したりとゆっくりと過ごしています。1500ごろから選手がちょこちょこ現れてくるので、練習前のテーピングをしたり、ケアしたり、リハビリしたりして1630ぐらいまで過ごします(最も忙しい時間帯です)。そこから選手がミーティングに入るので、1730ごろまで、またゆっくりと事務仕事したりしています。練習が1800から2000なので、ずっと外で練習を見ながら緊急時や怪我人が出たときのためにスタンバってます。練習後は学生トレーナーから練習を抜けるほどではないが、少し怪我した選手の報告を受け、練習後のケア、必要であれば怪我人の評価と処置をして、2130に帰宅します。

 

 

---JATOはどんな存在ですか?また、JATOに加入するメリットを教えて下さい---

 

一言では言い表せないですが、まだまだ若い団体なので、何かのメリットを誰かに与えてくれる場所ではなくて、みんなで色々なメリットを作り上げられる場所だと思っています。ケネディの大統領就任演説ではないですが、”Ask not what your JATO can do for you, Ask what you can do for your JATO.”って感じですね。アメリカの文化を多かれ少なかれ体験してきた人間たちが集う場所なので何か絆を感じるところですね。

個人的には、さっきも言いましたが、できたばかりのJATOに入会していたおかげ、日本人初の環境で仕事できるようにしてくれた団体ですね。

 

---なぜスカラシップの支援を始めたのですか?---

 

さっきも言いましたが、最近記憶が曖昧なので、はっきりした理由が思い出せません(笑)。

以前の理事の方々が決めて宙ぶらりんになっていた「奨学金」。立命の給料を考えて10万円なら毎年だせるかなと思い理事会で「10年は続けるから始めて良いですか?」と承認もらいました。特別な思いがあったわけではなく、奨学金を出すことならば、理事として自分がJATOに貢献できそうだったし、これで学生会員が少しでも増えてJATOの事を知ってもらえたらいいなぐらいな思いしかなかったです。

 

***Shinsuke Higashi Scholarshipに関する情報は以下URLを参照下さい***

https://www.jato-trainer.org/jato-scholarship/

 

---これからATCを目指す学生へ---

 

折角アメリカにいるのですから、勉強や実習だけでなく、異文化を満喫して下さい。アメリカナイズはされていますが、いろんな国の食べ物が簡単に手に入る国だし、いろんな国の人が集まっている国だし、日本にはない広大な土地や地形。アスレティックトレーニングだけでなくいろんなことを学んで経験して、人間的に面白い人になってください。

日本で就職を考えている学生さんは、オフの間に帰国してインターンしてください。アメリカと同じように、知らない人間に仕事を与えるよりは、働き振りを知っている人間を優先/紹介します。(金銭的に時間的に大変だと思いますが、、、。)

アスレティックトレーナーとしての仕事においては、その人が持っている資格ではなくて、その人の人間性がすごく重要だと思います。しっかりと人間性を磨いてください。(残念ながら、社会において人間性だけで高額な給料が貰えることはないですが、、、)大変なこともたくさんありますが、おもしろい職業です。頑張って下さい。

 

東さん、お忙しい中お時間を頂き誠にありがとうございました! アスレティックトレーナーになるきっかけが大学の構内新聞であったとは本当に運命ですね! また、”JATOが何かをしてくれるのではなく、JATOの為に何が出来るかというお言葉は、心に響きました。来月インタビューには、PNF繋がりのあの方をご紹介頂きましたので、楽しみにしていて下さい!