
盛夏の候 お変わりなくお過ごしでしょうか?さて、毎月15日にJATO会員の活躍をリレー形式紹介企画として、世界各国で活躍しているメンバーをFacebookとHomepage (Blog欄)で紹介しています。
先月は、既成概念にとらわれない高谷温子さんのインタビューでしたが、今月は高谷さんからご紹介頂きました大貫崇さんになります。コーディネーターとして日本でのアスレティックトレーナーの地位向上に繋がる活動されている大貫さんのインタビュー是非お楽しみ下さい!!
---アスレティックトレーナー(ATC)になろうとしたきっかけを教えて下さい---
様々な要素が重なってATCになろうと思ったと思うのですが、まずは中学時代から通っていた治療院で”NATA”と”ATC”という言葉を聞いたことが最初でした。高校時代、野球で全然ダメだったので、人より少しでもスタートの地点が高そうなもので勝負しようと考えて、たまたま先輩に「お前うまいな」と言われながら(おだてられた?)マッサージしていたのがきっかけで、メジャーリーグでアスレティックトレーナーを目指そうと思いました。単純ですね!(笑) それに当時、同じ神奈川県で同世代スターの松坂選手に脚光が集まっていて、彼よりも絶対に先にメジャーに行くと誓ったものでした。しかし、それよりももっと根本的な部分で、人間の体に興味を持ったきっかけがあります。中学の頃に肘を痛めて、昭和大学藤が丘病院のPTルームで、万歳した状態でサーモグラフィーを撮ってもらったら、みるみるうちに利き腕が紫色になっていったのがあまりにもカッコよくって、その時にはPTやトレーナーになろうとは思いませんでしたが、そこから純粋に今でも体に興味を持ち続けています。
---アメリカでの学生トレーナー時代に苦労したことや大変だった(または、よかったこと、嬉しかった)ことはありますか?---
学生時代に苦心したことはタイムマネージメントでしょうか。週末は遊びたいですし、でも仕事(学生ATとしての)もあるし、宿題もあるし・・・でも大変だったとは思わず、それはそれで楽しかったです。 一番印象的だったのはフットボールの練習で使う電動式のウォーターサーバー(細い管が何本も出ているやつ)の充電されていた電池を「もう機械に入れておいたよ」、ということを伝えたかったのに”Battery”の発音が全然伝わらず14回ぐらいリピートしてやっと伝わったかと思ったら、その場で発音レッスンをさせられたのが、すごく悔しくって、それを今でも覚えています。(笑) 学生の時はとにかく指導してくれた教員やインストラクターの方々に恵まれて、プロとは何か?と考え始めるきっかけをもらったことを感謝してます。
---アメリカでのアスレティックトレーナー(ATC)として、印象に残っている出来事がありましたら、教えてください---
まずは大学院でのGA1年目でしょうか。 フロリダのちょっと危ない地域で高校のヘッドアスレティックトレーナーをしていたのですが、バスケの練習中に1年生の子が亡くなってしまったんです。敷地がなかったためJV(2軍)は離れた場所で練習していたので、僕は何もできなく無力感を感じました。亡くなった彼にまつわるドラッグの話だったり、熱中症になった選手を助けるために救急車を呼んだら「誰が救急車の金を払うんだ!」とその選手の親に怒られるようなコミュニティーだったり、『人の命とはなんなのだろう?』『アスレティックトレーナーができることってなんなんだろう?』とたくさん考えさせられました。
その後MLBのチームでインターンをさせてもらったり(実際松坂選手がMLBに来る1年前のことでした!)、NBAのマイナーリーグで仕事をさせてもらったり、最終的にはMLBのマイナーリーグで仕事ができたので、ある程度目標にしていた部分に到達できて、それぞれ感動や楽しさがあり印象に残っています。同時にPTクリニックで働いてきた経験から今度はこの経験や知識をどうやって人に還元するか?という考え方に変わっていきました。

---帰国後から現在の仕事に至るまでの過程を教えてください。(就職活動?の苦労話など)---
まだメジャーリーグには程遠いマイナーリーグでの仕事でしたし、まだまだ知識も浅くもっとアメリカで勉強したいことが沢山ありました。しかし家族の状況はもちろん、京都の寺で見た「吾唯足知」(われただたるをしる)という言葉も後押しして帰国することにしました。もともと日本のスポーツメディシンのシステムをなんとかしたい!と思っていたものですから、居心地の良いアメリカに残ることは本末転倒になってしまうと考えました。帰国後は以前からお世話になっていた株式会社リーチさんで仕事をさせて頂きました。ATCはもちろん様々なプロフィッショナルの集まりで、メディカルフィットネスクラブで主に仕事をしたり、セミナーでお話しさせていただいたり、セミナー事業のコーディネートもさせて頂きました。2016年10月末で退社させて頂き、会社にいた時からやらせてもらっていたPRIジャパンの教育コーディネーターの仕事や大阪大学大学院での特任研究員、そしてセミナー事業などを中心に個人事業であるBP&CO.を立ち上げています。
---現在の仕事内容を教えて下さい---
様々なことをしているので一言では言えませんが、基本的には個人事業であるBP&CO.で代表を務めています。その業務は多岐に渡りますが、基本的に「ATはコーディネーター」であると考えていて、広い解釈でアスレティックトレーナー(または日本のトレーナーも含めて)がプロとして認知され地位が向上されるように働いているつもりです。
· PRI(Postural Restoration Institute®)ジャパン 教育コーディネーター:2015年から講習会の開催に関する運営業務を行なっております。ネブラスカ州リンカーンに本部があり、創設者のRon Hruska氏のメッセージを日本でもちゃんと伝えていこうと取り組んでおります。体の左右非対称性を考慮して呼吸から大きな影響を受けている多関節筋連鎖を使って交互相反運動(歩行)できるようにしましょう、という考え方(一言で表すのが難しすぎます汗)なのですが、リハビリやトレーニングはもちろん劇的な変化をもたらしますし、体をシステムとしてみるという考え方に大きな感銘を受けています。今年から講師としても活動し始めていて今後がとても楽しみですし、責任の重さを考えると身が引き締まります。
· 大阪大学大学院医学系研究科健康スポーツ科学講座スポーツ医学教室 特任研究員:2016年から医学部でアスレティックトレーナーが研究員をするというちょっと違和感のある役割をさせて頂いています。ですが、整形外科医、PT、アスレティックトレーナーとリハビリにおける繋がりを考えるとアメリカにいた時は普通にやっていたことで、現在はオリンピックに向けたプロジェクトで研究計画、実施などしています。白衣の人ばかりの建物でトレーニングウエアを着て歩いていると変な目で見られますが、ドクターと秘書さんたち向けに始めたお昼休みのグループトレーニングセッションが少しずつ認知され始めていて、働き方改革に少し役立てるかなと可能性を感じています。先日研究計画が倫理審査(厳しいんです)を通ったことがわかったので、こちらも楽しみです。
· Improve KYOTO:契約トレーナーとして個人セッションなどをさせて頂いております。ものすごく自由にやらせて頂いているので感謝でいっぱいですが、同じ目標を持った様々なバックグラウンドを持つ人間が集まっているので、面白いことが生まれています。例えば毎週金曜日朝6時45分から行なっている「朝トレ」はトレーナーが普段学んでいることを出し合いながら持ち回りでメニューを作り、みんなで頑張るグループトレーニングですが、英語オンリーでやったり、ライブ配信をしたりとゲストの方も受け入れて楽しんで続けています。
· BP&CO. の活動:基本的な呼吸のお話や、野球の投球動作分析に関するセミナー、トレーナーのための英語ワークショップなど様々なセミナー活動をさせて頂いております。また企業との連携を含め、製品開発に役立つようなコンサルティング活動も行なっております。
NBAとMLBのマイナーリーグでの仕事で感じたことは、プロの現場で行われていることが必ずしもプロ限定でないということに気づいたことが一つ。そしてマイナーリーグでの業務内容は関係各所と多角的に繋げていくことが中心で、エゴを捨てて「コーディネート」しながら目標に進んでいくことは何もリハビリや治療の現場に限らないだろうと考えています。阪大での研究成果を一般やアスリートに翻訳しながら現場に落とし込んでいくのも「コーディネート」だと思っておりますし、自分もまだまだですが、ATCができることは現場以外にもたくさんあると感じております。
---現在の1日の流れを教えて下さい---
妻が療養中ですので、子育てが中心の生活で、子育てしているとなかなか決まったルーティンが作れないのが悩みです。朝、8時半に保育園に二人の子供を送ってから、メールの連絡対応、阪大での研究活動、Improve KYOTOでのセッションなどを行なっております。家事もある程度こなしながら17時半に保育園お迎えに行くまで、できるだけのことをこなします。週末は子供を預かってもらえればPRIの講習会だったり、個人のセミナーであったり仕事させてもらっています。
---大貫さんにとってJATOとはどのような存在でしょうか?もくしくは、今後、JATOはどのような存在になっていくでしょうか?---
実を言うと先日入会したばかりなのでまだどのような存在なのかはわかりません。(笑) ですが、ずっと入会する機会をうかがっていたので、入会できて嬉しく思っていますし、入会する前は大きく見守ってくれているような存在だと感じていました。今後はJATOが、日本にアスレティックトレーナーという職業が根付き、子供達やアスリート、もしくは一般の方々が安全に安心してスポーツや運動ができるように様々な問題を解決して行くリーダーであり、大きな船のような存在を担って行くと思っています。せっかく入会させて頂いたのでその船の魯を漕げるように貢献していきたいと思います。
---JATOに加入するメリットを教えて下さい---
メリットはその大きな船に乗ることで、日本のスポーツ・運動社会の転換期に参加できるということかと思っています。法人化されることですし、ますます大きな影響力を社会に発揮して行くことがとても楽しみです。
---これからATCを取得してアスレティックトレーナーを目指している学生にメッセージをお願いします---
きっとアメリカに渡ると日本という国の素晴らしさもアメリカの素晴らしさも両方気づくと思います。ですから、ATCになりたいからアメリカに行く!というだけではなく、ATCとしてこんなことが日本でしたい!という思いを持って渡米するような時代が来たらいいなと思っています。そして帰国したらそんな熱い思いを受け入れるだけの土壌が用意できたらいいと思ってますので、みなさん安心して渡米してください!(笑)
また僕が学んだATC像は、「広く浅く」というものでした。その中で得意だったり、知りたい分野を掘り下げて深めて行くイメージです。仕事内容は膝や肩の評価や治療ばっかりではありません。マイナーリーグの時に「気持ちよかったから」とホテルの枕を持ち帰って来てしまったドミニカの選手の為にホテルに謝罪の電話をしたこともありました。(笑)これも「コーディネーター」としたら仕事の範疇でしたし、あまり偏らず広い視野で僕らが知らないことを学んで来てもらえたら、帰国した時に是非教えて欲しいなと思います。

大貫さん、貴重なお話ありがとうございました。アスレティックトレーナーが日本国内にてプロフェッショナルとしての地位を向上させるために、コーディネーターとして、アスリートの現場だけでなく、幅広く活躍されているんですね。大貫さんのJATOへの加入は本当に心強く思います。そんな大貫さんが「尊敬できるすごいやつ」という後輩の方へ、次回はインタビューいたします。是非楽しみにお待ち下さい!!