【第12回JATO 日本人ATCリレー形式紹介企画】

 

肌寒い日から一気に気温が上がって初夏を感じております。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。さて、毎月15日にJATO会員の活躍をリレー形式紹介企画として、世界各国で活躍しているメンバーをFacebookHomepage (Blog)で紹介しています。
先月は、幅広く活動されている一原さんのインタビューでしたが、今月は一原さんからご紹介頂きました山口大輔さんになります。
NBASan Antonio Spursでもアスレティックトレーナーとして長年活躍された山口大輔さんのインタビュー是非お楽しみ下さい!!

 

---アスレティックトレーナー(ATC)になろうとしたきっかけを教えて下さい---

 

バスケットボールが好きで、中学生の時からNBAに夢中になった事が根本にあるかもしれません。そして、中学生3年の時にバスケットボールと文化の交流の目的でニューヨークから同年代の子たち20名くらい(?)が自分の中学校に1週間ほど来てくれました。その時に、自分の家にその中の2名が滞在してくれた事も大きかったです。当時できるとは思わなかった英語でのコミュニケーションを体験し、アメリカに行きたいという想いが強くなりました。『バスケットボールに携わった仕事がしたい』というのと『英語を喋りたい』という想いからアメリカ留学の決断に至りました。あとは、スポーツの現場で働きたかった事、悪い動作を変えることで選手のサポートができるようになりたかった事でATCの道を選びました。ストレングスコーチという手段もあったのかもしれませんが、多分性格的、体力的にそちらの道は性に合わないという気もしていました(笑)。

 

---アメリカでの学生トレーナー時代に苦労したことや大変だった(または、よかったこと、嬉しかった)ことはありますか?---

 

初めの2年間は特に文化や言語に慣れることに苦労しました。インターナショナル同士の会話は互いに似た境遇にいる者同士だったので、楽しかったし不便は感じませんでした。しかし、現場でのアメリカ人のやりとりには全くついて行けず、遠慮がちだった事もあり周りから“できない奴という感じで強く当たられていたのも覚えています。でも、そういった場に強制的に(自分で選んだ道ですが、カリキュラムとして。)入れさせてもらえていたお陰で、環境に慣れ、コミュニケーションを取れるようになったと思います。結局そう言った経験から文化を学び、コミュニケーション能力をつけた事で友人が増え、好きなスポーツを一緒にしたり、お酒を飲んだり、沢山の良い思い出を作る事ができました。また、僕が通ったIndiana State UniversityISU)は、どんな技術や知識よりも「プロフェッショナリズム」を大切にする大学だったので、「自由の国アメリカ」というラフなイメージを持って飛び込んで行った自分にとって、最初は息苦しいほど身だしなみや態度について教育を受けました。『アスレティックトレーナーって面白くない世界かも』と思った事が何度もありましたが、学生インターンとして外の世界に出た時に、そのプロフェッショナルリズムが現場のATCからの自分の評価を高めてくれたと感じました。ISUを出た後、自分自身は何事においてもやはりラフさが出てしまいますが、根底にプロフェッショナルとして働く事がどういう事か理解できているお陰で今もATCとして仕事を続けられているのだと思います。

 

 ---アメリカでのアスレティックトレーナー(ATC)として、印象に残っている出来事がありましたら、教えてください---

 

色々とありますが・・・敢えて挙げるとすれば、自分がフルタイムATCとして仕事始めて最初の山場となったシーズン前のチームのフィジカルチェック(健康診断:以下フィジカル)での大失敗かもしれません。

 

当時NBA Development LeagueNBAのマイナーリーグ)のAustin Torosというチームで自分はヘッドアスレティックトレーナーの肩書きを頂いていた上で、用具係、トラベルコーディネーター、ストレングスコーチ、そして選手が寝泊まりするアパートのコーディネーターとしての役割も担っていました。バスケットボールのマイナーリーグではチームに参加する選手がシーズン前1週間ほどに決まる事もあり、全ての準備に僕はあたふた。しかも前任のアスレティックトレーナーだった人は何も引継ぎの情報を残してくれず(ちょうどリーグの変革期にもあった事でNBASan Antonio SpursというチームがTorosを買収した直後だったのもあったと思います)、全て一からの作業となっていました。

 

リーグからはフィジカルにおいて行わなくてはいけない最低限の検査内容が定められており、その中に心電図が必須とされていました。Torosが結成されて以来チームを見てくれていた病院とマネジャーの方にフィジカル当日の話をすると「そんな事今まで何度もやってお手の物。大丈夫よ。」と頼もしい返事。どうにか選手全員の飛行機の手配を済ませ、フィジカル翌日から始まる練習のための道具も揃えて準備は終了。

 

そしてフィジカル当日。アパートにかかる費用の都合上チームは選手をフィジカル当日にしか連れてこられなかった事、フィジカルができる時間帯が病院の都合で2時間しか取れなかった事で僕はそれぞれ検査が行われる部屋に選手を連れて行くのに精一杯。予定の2時間を過ぎてはしまいましたが、病院にいたスタッフの手伝いもあり、なんとか選手全員の検査も終了。選手陣をアパートまで送り、医師、スタッフと検査書類が揃っていることを確認した後、御礼を言ってほっと一息。時計を見ると21時を回っていました。

 

リーグに書類を送って翌日朝からの練習に備えようとしたところで問題発覚!

心エコー図の書類はあるが、心電図の書類がどこにも無い!まさかEchocardiogram(心エコー図)とEKG(Electrocardiogram:心電図)を間違えたのでは?!

 

慌てて確認を取るとその通り〜。

もう病院は閉まっている。リーグ責任者に問い合わせてもそれでは練習はさせられないとの返事!

雇われて早々にクビを覚悟しました。冷や汗が出た出た。『そのまま知らなかった事にして翌日普通に練習やってもらおうか』というアイデアが何度も頭の中を過ぎりました・・・。

長い葛藤の後(実際の時間としては5分も無いかも?)、覚悟をして当時のチームのGM(僕を雇うと決めた人物)に連絡をしました。

 

するとGMは、

「よく正直に話してくれた。大変だったと思うが、ヘッドコーチとは話したのか。彼と話をして今やれる次のステップを考えればいい。大丈夫、なんとかなるよ。」というお言葉!

 

そしてヘッドコーチに連絡をすると、

「そうか、大変だったな。過ぎた事は仕方ない。これはDiceという人間が試練をどう乗り越えるかというテストだ。せっかくの練習の時間を失う事はコーチとして非常に辛い事だ。だから明日の午後には練習をしたいと思う。どうにかしてDiceの力で午前中に必要な試験を終わらせられるよう手配できるか?君なら絶対大丈夫。頼むぞ。」

 

心を震わされました。

そんな二人の言葉と、病院の医師、スタッフの助けのお陰で翌日午前にフィジカルを無事終え、午後からチームの初練習を行える事になりました。

 

「何事も人に任せてはダメ。全ての責任は自分にあり。」と心に刻む事ができた大失敗でした。それがあったお陰でその後の困難も乗り越えて来れたのだと思います。

 

ちなみに、当時のGMは現在NBANew Orleans PelicansGMとして、ヘッドコーチはUtah Jazzのヘッドコーチとして活躍しています。素晴らしい方々と一緒にいられた運命に感謝!!!

 

 

---帰国後から現在の仕事に至るまでの過程を教えてください。(就職活動?の苦労話など)---

 

帰国が決まってから1年は仕事をせずに受けたかったセミナーを沢山受けて勉強に時間を費やしました。日本で何ができるかわからなかったので、アメリカで使っていた評価ソフトを日本に持ってきてビジネスにするか、どうしようか考えていました。ただ、そのビジネスも日本に持ってこられるか雲行きが怪しくなり、どうしようか考えていたところ大学時代の知人のツテで、以前から話を聞いて見たかった室伏広治さんと会える機会をもらいました。会ってみると、タイミングよく彼がアスレティックトレーナーを探しているという事で現在の大学のポジションに就かせていただく流れとなりました。

 

苦労話、ではないですね(笑)。

僕は運が良いんです!

 

 

---現在の仕事内容を教えて下さい---

 

アスリートへの傷害予防とパフォーマンス向上を目的としたトレーニング指導をする傍で室伏広治さんと一緒に彼の研究課題のまとめと実験を行なっています。

 

時間のある時にはバスケットボールの小中高生を中心としたクリニック(研修会)での指導も行っています。

 

---現在の1日の流れを教えて下さい---

 

基本的に平日勤務。その日によりますがアスリートのトレーニング指導が大体合計で4−5時間。後は研究のための文献を読んだり実験をしたり、ミーティングをしたり、という感じです。

 

---山口さんにとってJATOとはどのような存在でしょうか?---

 

似たような経験を積み、同じような文化的背景をシェアできる仲間達と繋がれる場だと思います。自分の仕事に熱意があって、時にアツすぎるくらいかもしれないけど、それ以外の事も大切にできる人達が沢山いる場。僕にとって遠慮しすぎずに入っていける心地の良い場所。

 

---JATOに加入するメリットを教えて下さい---

 

“加入する”メリットはあるのかどうか、正直わかりません。でも、そんなJATOと、日本のスポーツ現場の状況をどうにか変えようとする仲間達がいるのを見て、アスレティックトレーナーを知ってもらうために、トレーナーの輪を広げるために、日本の子供達の将来のために、できる事は何かあるかと考えさせられている自分がいつもいます。形にして見えるメリットはまだ無いのかもしれません。でもATCとして良い刺激をもらえる場所だと思います。

 

 

---これからATCを取得してアスレティックトレーナーを目指している学生にメッセージをお願いします---

 

僕らは今インターネットやSNSにより様々な情報をどこでも容易に得られる便利な世の中にいますが、そのせいか、人の良さが形に見える「できる事」「知っている事」で以前以上に判断されるようになっている気がします。もちろん、専門職である僕らの分野において「知識」を持つことは必要ですし、それ自体が技量を手っ取り早く測れるツールでもある思います。でも本当に大切なのは形に現れにくい「人間力」だと僕は信じています。

 

アスレティックトレーナーの魅力は何と言ってもアスリートやクライエント、患者さんたちと直接コミュニケーションをとって身体のケアについてのプランニングができる事です。そこに必要なのは知識以上にその相手と「繋がる」事。十人十色と言うように、世の中にはそれぞれ違うバックグラウンドを持った人々がいて、そのような人々と繋がるためには豊かな人間性を持つ必要があります。

 

自分の興味のある事、好きな事、楽しい事を大切にして、勉強のみならず色々な事を経験して見てください。僕は日本に帰ってきて、知識だけのためなら日本にいてもアスレティックトレーナーとしての学びは十分にできる環境があると感じています。でもアメリカで揉まれる事で学んだ語学や文化のおかげで人間としての幅広さを身につける事ができたと自負しています。その人間力こそが、他人には無い僕自身の武器だと思っていますし、日本のATCの持つ強みとなり得るのでは無いかと考えています。

 

鍵は「楽しむこと」にあり、です!

 

山口さん、アメリカで学んだプロフェッショナリズムと大失敗から学んだ貴重な経験を包み隠さず、お話していただき誠にありがとうございました。彼から溢れ出す人間性を感じました。来月は、山口さんが「天真爛漫だけど芯はブレない」方という女性アスレティックトレーナーのインタビューになります。是非楽しみにお待ち下さい!!